ゲームの思い出は友人宅!?

明日は『昭和40年男』の発売日だ。この日は毎度、書店・コンビニを覗き込んでは棚をチェックする。キチンと積まれていなければ整え、立ち読みしている方がいればそのアクションを凝視する。パラパラとめくっている手がどのページで止まるか、そしてどのくらいの時間吟味してレジへ運ぶか。残念ながら棚に戻すのを見てしまうこともあり、すがりついて嘆願したい気持ちをグッとこらえたりする。レジへと運んでくれた方にはお礼を述べるのだから、さぞ気色悪いだろうな。

昨日編集長がこのブログで書いていた。

〜ゲームというものがそれほど身近なものではなかったかもしれないということです。つまり、誰しも買ってもらえるほど社会全体が豊かではなかった、ゲームで楽しむためには大勢の人が集まる機会が必要であった、子供は外で遊ぶことが健全であり、屋内でゲームをするのは好ましくないとされていた…〜と。

まさにその通りでうなづきながら読み進めると、家庭や地域で環境が異なるとつないでいる。ふむふむ、てなわけで昭和40年男のサンプルを1つご紹介しよう。

僕が育ったのは荒川区で、決して裕福な家ではなかった。が、周囲も同じようなものだから劣等感はなかった。風呂が家にないことでむしろ銭湯というクラスメイトとの社交場を得られたのだと喜んでいたくらいだ。そう、社交場として成立してしまうほど風呂なしの家が多かった僕のコミュニティだった。ゲームを買ってもらえる機会が少ないヤツの方がスタンダードで、当然ながら保有台数が少ない者の方が多かった。今回の特集に登場したゲームのほとんどが、僕にとってはそのまま友人宅の思い出である。誰がどれを持っているかを仲間で共有していて、今日は野球盤をやりたいからAの家に行こうとか、ボウリングゲームだからBとかそんな具合である。その頻度の多いヤツは銭湯では一緒にならないから、やはり貧富はあったということだ。僕が得る少ない機会、つまり買ってもらえる時は友人宅にないモノをセレクトした。日頃のご愛顧に感謝ということだったのかな(笑)。

と、そんなことを思い出しながら同世代諸氏は読み進めることだろう。あの日、仲間とともに遊んだゲームはパーソナルなものでなく、仲間たちとの時間と空間を共有しながら楽しむものだったのだ。つくづく幸せである。そんなテーマの一冊だから、皆さんも仲間と一緒に楽しんでいただけたらと願う。飲み屋で開き、あれを持ってた、これが好きだったなんてコミュニケーションが生み出されたら嬉しいことこの上ない。ぜひっ、明日は書店で手に取っていただきたい。

 

<プロデューサーのつぶやき>

自身が昭和40年生まれでもある初代編集長で、現在はプロデューサーとして活動中の北村が、思ったこと、感じたことを同世代へのメッセージを込めて書き連ねます。(本エントリーは、本誌ブログを再掲載したものです)